「古地図さんぽムカシのこの辺」

新町名図 (昭和10(1935)年3月発行/井荻町土地区画整理組合/71.0×61.2cm)

新町名図

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豊多摩郡井荻村時代に着手した壮大な土地区画整理を終えた昭和10(1935)年、井荻町土地区画整理組合が発行した『事業誌』に「新町名番号対照表」とともに附録された地図。
偉大なリーダー・内田秀五郎村長が先導して推進した都内でも類のない規模の区画整理により、碁盤の目のように整備された町の様子が一目で分かる。
内田秀五郎が誘致した中島飛行機制作所が中央に大きな敷地を構えており、ここでは終戦間際まで零式戦闘機用のエンジン「栄」「誉」が製造されていた。また名称の記載はないが、この翌年には上井草球場が完成しプロ野球チーム・東京セネターズの拠点とするが、中島飛行機の社員運動会なども開催されていた写真が残っている。当時の井荻町(現・荻窪から上井草付近)は、近衞文麿、有馬頼寧など政界の名士が居を構えていた。昭和12(1937)年、中島飛行機のオーナー中島知久平を加えると3人が同時に、この町から入閣したこととなり、全国的にみても大変珍しい政治的な歴史を持つ地域である。

主な掲載地名

正保町、八成町、住吉町、矢頭町、上井草町、四宮町、柿木町、神戸町、中瀬町、下井草町、向井町、沓掛町、中通町、今川町、三谷町、新町、善福寺町、井荻、宿町、関根町、西荻窪、神明町、荻窪、上荻窪、東荻町、清水町

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